小田原styleがお届けする小田原をはじめ西湘エリアの魅力的なspot紹介、今回はインスタなどSNSで写真映えすると話題の「海へと続くトンネル」。高度経済成長期の日本。防潮扉として西湘バイパス開通年の1967年にひっそりと誕生したトンネルが、半世紀を経て脚光を浴びている。
五感を刺激し海へと誘う、正式名称なき無機質なトンネルの誕生秘話
無機質から有機質へ、モノクロから鮮やかな世界へ導くトンネル
一歩、また一歩…。無機質で薄暗い中を、導かれるように進む。
湿度の変化、漂う磯臭さ、かすかに聞こえる波の音、コンクリートの額縁に広がる景色-。触覚、嗅覚、聴覚、視覚を刺激し、まるで海へと誘(いざな)うかのように訪れる者を待ち受けるトンネル。それが「海へと続くトンネル」だ。
トンネルを抜けると砂利が照り返す御幸の浜に青一色の相模湾が広がる。無機質から有機質へ、モノクロから鮮やかな色彩へと世界観が変わる瞬間を体感できるスポットとして、またトンネルの中から撮影する海がインスタ映えする「天然の額縁に広がる海」としてSNS全盛の今、若者を中心に話題となっている。
正式な名称はない「海へと続くトンネル」、それぞれが感じた名称も
小田原駅から南下し、老舗の蒲鉾店や干物店が並ぶ風情あるかまぼこ通りを抜けた先にある「海へと続くトンネル」。インバウンド以降、小田原市の魅力を紹介する紙媒体、Web媒体で名前が躍る新たな名所だが、小田原市役所経済部観光課によると正式名称はないとのこと。
海へと導くトンネル、海へと誘(いざな)うトンネル、世界観が変わるトンネル、畏怖のトンネル。一人で、友人と、恋人と、家族と-。それぞれが感じた思いをトンネルに命名することで、いつまでも色褪せない思い出として刻まれることだろう。
防潮扉として誕生、小田原市内に計23か所存在する「海へと続くトンネル」
神奈川県中郡大磯町東町を起点に小田原市風祭を終点とする全長20.8kmの西湘バイパスが開通した1967年(昭和42年)に、防潮扉として完成した。詳細な経緯は不明だが、西湘バイパス建設時に元々あった通路の機能を維持するために建設されたものと見られている。
御幸の浜のある本町から国府津IC近くの小八幡までの約6km、小田原市内に計23か所存在する海へと続くトンネル。サイズは幅2~8m程度、高さ1~3m程度と場所と当時の用途により異なっている。
日本三大深湾「相模湾」の海の幸を狙う不届き者への注意書きも
海側から見た海へと続くトンネルの上には注意書きがある。長年にわたる潮風の影響か、全文を視認することは難しいが…「さざえ、とこぶし、海藻類、ヤス」などの単語が並び、「違反者は法令により処罰されます。神奈川県 小田原警察署 小田原市漁業協同組合」で締めくくられている。
富山湾、駿河湾とともに日本三大深湾に称される相模湾。大自然が育む海の幸を違法に狙う不届き者への注意書きは西湘バイパス完成当初から存在したのか、不届き者の出現に伴い書かれたのか。いずれにせよ、注意書きとしての当初の役目は終えたのだろう。
高度経済成長期にひっそりと誕生。昭和、平成を経てSNS全盛の令和に脚光を
海へと続くトンネルは令和3年度に15回、令和4年度は9月6日現在で8回閉められるなど、防潮扉として本来の役割も果たしている。日本初の超高層ビル「霞が関三井ビル」が誕生し、ツイギー来日でミニスカートブームに沸いた高度経済成長期の1967年。防潮扉としてひっそりと完成した「海へと続くトンネル」は今、時代の潮流に乗るかのように、脚光を浴びている。(取材協力:小田原市役所経済部観光課)
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